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淡路(あわじ/あはぢ)は、日本海軍の海防艦。御蔵型海防艦の3番艦。船団護衛中に撃沈されたが、それは船団に向けて放たれた魚雷から船団を守るための身を挺した行動とされている〔駒宮『戦時輸送船団史』、p. 183。〕。 ==艦歴== マル急計画の海防艦甲型、第310号艦型の15番艦〔マル急計画の当初計画での番数。〕、仮称艦名第324号艦として計画。1942年2月14日、海防艦乙型の基本計画(基本計画番号E20)が決定したため、それに従って建造されることとなった。 1943年6月1日〔〔、日立造船株式会社桜島造船所で起工。8月31日、淡路と命名され、本籍を呉鎮守府と仮定し、御蔵型の3番艦に定められる。10月30日〔〔、進水。 1944年1月25日竣工し、本籍を呉鎮守府、役務を呉鎮守府警備海防艦にそれぞれ定められる。同日付で呉防備戦隊に編入され、訓練に従事。 2月15日、海上護衛総司令部第一海上護衛隊に編入。同日から24日まで呉海軍工廠で整備。25日、モタ06船団(9隻)に合流するため単艦で呉を出発。26日には同船団と合流して護衛に従事。3月4日に高雄着。以後、24日まで単艦で高雄周辺の護衛や対潜掃蕩に従事。24日、タサ31船団(16隻)を第19号駆潜艇、特設砲艦北京丸と護衛し高雄発。4月1日、サンジャックに到着したが、主機械の故障が発生したため単艦でシンガポールに回航。8日から27日まで、シンガポールの第百一海軍工作部で主機械の修理に従事。27日、シミ01船団に合流するためシンガポール発。28日に同船団と合流し、30日ミリ着。 5月4日、蓮らとミ02船団(17隻)を護衛しミリ発。23日、六連沖に到達したところで単艦佐世保へ回航。佐世保海軍工廠で探信儀記録器の設置工事に従事。29日、香椎らとヒ65船団(12隻)を護衛し門司発。6月2日、船団は火焼島東方〔戦時日誌第一項第二号(ロ)の記述による。戦時日誌別表第二「船団護衛状況(馬来直航々路)」では東経121度24分としている。〕の地点でアメリカ潜水艦ギターロの攻撃を受ける。ギターロはタンカーに向けて魚雷を6本発射し、その魚雷を発見した淡路は船団旗艦の軽巡洋艦香椎に魚雷発見を報告した直後に雷跡に入り込み、魚雷が命中した「淡路」は轟沈した〔#海防艦戦記 p.204〕〔#駒宮 (1987) p.183〕。海防艦長の仁木幸造少佐以下乗員76名が戦死したほか、5名が第19号海防艦に。数名が千振に救助されたが、戦傷死者が出た。 7月10日、淡路は御蔵型海防艦から削除され、帝国海防艦籍から除かれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「淡路 (海防艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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